MUIR JAPAN / nazoKのヒーリングあ~と

MUIR JAPAN / nazoKのヒーリングあ~と

大地と人々に感謝(9)

○光の柱


3月29日
いよいよメインイベント開催の日がやってまいりました。
速魚川駐車場の石垣には井上龍一郎氏の大書・・・
黒ペンキを箒を使って書かれた「龍」の文字が威風堂々と聳えています。
右上には赤で「山は水のかたまり」の文字も~


スタートは夜なので、猪原金物店は開幕を待つ楽屋裏状態・・・・・

この日X氏とわたしは、皆様とは別行動で松下ひふ科へ伺い、2本のBEP埋設を頼まれていましたので、彼らの都合の良い時間帯におじゃますることにしていました。
もちろん、松下先生自ら埋設することは可能ですが、「せっかくX氏が来られているのですから~」と・・・・・



ご自宅の庭と病院前に創られた自然水を中心とした生き物の楽園『望み川』横に埋設させていただきました。
大きな球形の石に掘り込まれた「望み川」という文字は、島原に来て馴染みになってしまった井上龍一郎氏の書・・・・・・


あははは~、わたしも時期が熟せば、龍一郎さんに「てんみくろん~宇宙・自然・人はミララクル~」の文字を書いてもらいたいと心密かに温めています^^



松下先生から申し出を受けた今回の旅で使用したBEPのすべてを支払いたいとのお話ですが、結果として24本持参したすべてを埋設してしまったことをお伝えしたら、「アハハ~、大丈夫ですよ! すべて僕がお支払いします。」と・・・・
本当に豪快な先生です^^
これからも続く大地の浄化への旅費用として、大切に使わせていただきます。
すべてに感謝~



島原入りする前にお届けしていたBEPが3本ですから、合計27本が普賢岳および眉山鎮護を目的として周辺に埋設されました。
島原の大地及びそこに暮らす人々に幸あれと祈ります。




ここで猪原氏から届けられたお話の続きをご紹介いたします。
世の中には不思議なことがたくさんあることをご存知の方は多いことでしょう。
猪原氏のお話は、そうした不思議な現象を目撃したことから始まった時空を飲み込み、昇華させていく壮大な出来事でもあるかと思います。
ご一緒に宇宙の真相とはなんであるのかを感受してくださいますようお願いいたします。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



昨年の8月26日の午前11時50分、突然、自宅の妻から金物店の電話モニターで「お父さん、大変!! 自宅のトイレの床に赤い光が出ている!」と興奮した声が聞こえました。

当店は、表の道路側に金物店の店舗があり、同じ建物内の裏側に「茶房&ギャラリー・速魚川」という中庭の池を中心とした土間や渡り廊下、囲炉裏の間などの空間があります。
自宅はさらにその背後に隣接して建っております。

急いで自宅トイレに行ってみますと、タタミ一畳ほどの狭いトイレの床板に五百円玉大の真っ赤な光が二個、小刻みに揺れながら光っていました。  
妻と高2の次女、母、小生の四名は電灯を消した真っ暗なトイレで異様に光る不思議な現象を呆然と見ていました。

「そうだ! デジカメで写してみよう!」と慌てて店にカメラを取りに行き、小生だけトイレに入って撮影しました。  
洋便器に腰掛け、フラッシュをたかずに夜間モードに切り替え、ぶれないように膝にカメラを固定して撮影したところ、見事に撮影に成功しました。



実は、ちょうど7年前(2000年)の8月に同じ場所の同じ位置で小生は目撃していたのです。  
その年から「龍」をキーワードにした不思議な出会いや出来事が起こり始め、小生は『青龍の掛け軸についての覚書』を書かなければならなくなったのです。


2001年に書いた『青龍の掛け軸についての覚書』の冒頭部に、このトイレで見た赤い光の状況説明がありますが、これは客観的証明が不可能でした。
  
しかし、今回は目撃者が小生を含めて4名、しかもデジタルカメラの画像が物的証拠として残りました。

当時、小生は床板の赤い二個の光を手で触れたり覆ってみたりして検証しましたが、発熱もしていないしフローリングの床板(15mm厚)自体が発光している事を確認しています。



この写真は、TA-KO氏やX氏や横笛奏者・KAON氏にもメールで送付しています。
北大大学院の生物学者・M氏にも写真を見てもらい科学的検証を試みましたが「地球上に発光する木は存在しません。 動植物が酵素を媒体として発する光は青い光です。 この写真の赤い光はまさしく超常現象と言われている類のものでしょう。」と断言されました。


では一体どういうメッセージ性や意味があるのだろうかと気がかりになり、数人の霊能者に写真を見せて訊ねました。  
「悪い兆候ではありません。」
「7年前は赤い光が一個、今回は二個ですね。
龍神の両目が開いたという事ではないでしょうか?」という答えが返ってきました。
  

その意味がわかったのは、それから約一ヵ月後でした。 
「石龍」の制作プロジェクトがその答えだったと今では思っています。 



有田のO氏が「ホームセンターに行って石を見たりしていましたが、小さな石でも高価過ぎて、私の経済力では手が出ませんでした。」と話されている間中、小生は鳥肌が立っておりました。

「申し訳ありませんが、波佐見町の僧侶・H氏に逢われて、石龍を彫るのは貴方で良いのか確認して頂けますか?」とO氏に言いました。  
「わかりました。それでは、来週にでもH氏とお会いしましょう。」と言ってO氏は有田に帰られました。


それから一週間後、O氏からの携帯電話で
「私で良いそうです!!  H氏がそう言われました。」と興奮気味に話され
「それは良かった!  是非お願いします。」と答えると
「しかし、H氏が仰るには、私が龍を彫る石は『黒い島原石』でと言われるのです。」
と付け加えられました。

「それは無理でしょう。 島原石(花崗岩)は地元なので多く見てきましたが、いろんな色はありますが『黒』はありません。  聞いた事もなければ見たこともありません。」
と答えました。  
O氏は「しかし、黒と言われたのです・・・・」
と困惑気味な声でした。

「わかりました。  ありえないけど、一応念のために調べてみましょう。」
と電話を切って、すぐに島原市内の石の彫刻家・N氏に電話を入れました。



「つかぬ事をお聞きしますが、『黒い島原石』ってありませんよね?」と言うと
「・・・・エッ!? ど、どうしてですか?」と明らかに動揺したN氏の声が返ってきました。



それまでの経緯を話すと
「・・・実は、私が持っています。 M造園の造成現場で『黒い島原石』が出てきたのです。  ビックリしてM造園の社長に話すと、そんなに珍しいのなら貴殿に進呈しますと無料で頂きました。 3年ほど前の事です。 今、鳥肌が立っています。」
と興奮気味のN氏の声が聞こえました。



翌日、N氏のアトリエに行くと野外に『黒い島原石』がありました。
キツネにつままれているような気がしました。
N氏は「もうこの石は、オブジェとして使う事もなくなりました。必要なら使ってください、進呈します。」と数百キロはあるであろう石のかたまりを指差して優しく微笑んでいました。



真言宗僧侶・H氏の謎めいた予言は当たっていました。
「石の龍」制作プロジェクトはこうしてスタートしたのです。

   
ちょうど時を同じくしてTA-KO氏やX氏とのBEPミューアの島原半島埋設プロジェクトもスタートし、この事は偶然ではなかったと後から気づく事になりました。


3月23日に速魚川の水呑み場の正面に設置された「石龍」に関しては、当店のHPのコラムに「石の龍制作プロジェクト」シリーズとして77話まで詳細に書かれています。
(現在、サーバーが楽天に買収され、観れない状態ですが近日中に復活します。)


当店の敷地内から毎分150リットル湧き出ている普賢岳の伏流水を利用して「速魚川」を造ってから丸10年が経ちます。
  

この川を造っている途中でも、不思議な偶然が重なり「何かに造らされている」と感じた事がありました。

その後、2000年(辰年)に、例のトイレの光を目撃した以降は「龍」にまつわる多くの出来事が起き始め、翌年の2001年に『青龍の掛け軸についての覚書』を書くことになりました。


この覚書を読んでインスピレーションを得た高城二三男先生が、2年前から朗読劇『信平(のぶへい)走る』の連作を書き始めることになったのです。

明治10年に、岡山から突然島原に来て猪原金物店を創業した初代・猪原信平という人物を主人公にした実際の歴史的事実とファンタジーが混在した朗読劇で、現在7話まで書かれています(小生・信明は5代目です)


なぜ、信平は岡山に女房や子供を置いてまで島原に来たのか?  
その謎解きをしながら現在、島原や日本、あるいは地球が抱えている問題にまでメスを入れようというものです。


つづく・・・・


~~~~~~~~~~~~~~~~~


KAONさん経由で猪原さんと度重なるメール交換をし続けてきましたが、彼からのメールで何度も鳥肌が立ち続けたことを思い出します。


つづく・・・・




島原の大地と人々に感謝(10)


© Rakuten Group, Inc.